今年は『2017 破滅に向かって by YOSHIKI』というテーマで
まず、改装におきまして ファサード(外観)をあえて崩す美学。
そして、ありがちなカレーをやってしまう美学。
さらに、一流雑誌「ヨコハマWalker」の取材を断るという破滅の美学。

『ワイルドだぁろぉ~』
とおもわず言いたくもなりますが。
まあ、しかし 活字って良くも悪くもコワイんですよ。
自らが書いたありのままの文章がそのまんま載るのならまだしも
雑誌ともなると また全然違った印象に見えてしまうんですよね。
良い方にも悪い方にも誇張されて伝わってしまう。
その決して等身大とは言えないような
膨らんだイメージというか期待というかを持って来店された場合
良い方にも悪い方にも期待を裏切ってしまうことがあるような気がします
ましてやインターネットの情報化社会が当たり前となった現在
実際の現場を体感する前から様々な情報を吟味することが可能です。
百聞は一見にしかず とは言いますが
先に仕入れた文字や画像の情報と実際、目にした・体感した経験とのギャップを
いささか 良い方にも・悪い方にも
クチコミ・レビューというかたちで投稿したりするわけです。

最近で言えば、グルメサイトの口コミってありますよね。
食べログとかぐるなびとか。
また地域情報サイトなどにも口コミ投稿などできますよね。
お店の利用者がどこそこのお店に行ったときの感想とかを文章で書き込んで
点数?星の数?とかで採点・評価したものを集約した口コミ情報。
お店のお客さんからの評価が文字と点で表されている訳です。
利用者からすれば 来店動機としてとても参考になる役立つサイトですよね。
一方では これをあまり良く思っていない方々も存在します。
あくまでお客さんの書き込みに対してではなく
書き込みを管理しているサイト運営側に対して
嫌悪感を示している又は怒っているお店サイドってけっこうあるんです。
もちろん そのような情報サイトを進んでうまく活用し
お店の販促ツールとして役立てているお店もたくさんあります。
また、なんとも気にしていない意識していないお店もあることでしょう。
しかし実際に食べログを相手に訴訟をおこしたり
いまもなお集団訴訟の手続きをしているお店もたくさんあります。
店の経営サイドが問題と指摘している点というのは
- 口コミの内容がお店の不利益につながる。
またそのような口コミの削除を求めても応じてもらえない。 - 店側の意向にかかわらず勝手にサイトに掲載される。
またはその削除願いにも応じてもらえない。 - 評点に対しての不満。採点の方法に対する不満。
- やらせ・嫌がらせなどの口コミの信憑性に対する不信感。
などなどがあげられます。
つまり
口コミサイトに載せるかどうかのコントロール権はあくまで店側にあるべきだというもの。
店側が掲載をやめたいと言えばサイト側はそれに従うべきだというものです。
これに対して、裁判所は「原告の飲食店は広く一般人を対象にして飲食店業を行っているのであるから、個人と同様に情報をコントロールする権利を有するものではない。飲食店側が望まない場合に、これを拒絶する自由を与えてしまえば、得られる情報が恣意的に制限されることになってしまう」という趣旨の理由で
原告側の敗訴という結果になっています。
確かに権利という点ではそうなのでしょう。
お店というものは、社会的に妥当な口コミであれば
それを受け入れるべきだ、受け入れうる存在であるということです。
ただ、お店の意向にかかわらず店舗情報が掲載されてしまうということは
人目に触れるインターネット上にさらされるということになります。
その掲載された情報を丁寧に管理しておかなければ
それこそ お店そのもののイメージと直結してしまうわけです。
こちらの意に反して載せられた自店の情報を管理するには
運営サイトにログイン登録し自らが情報を管理・運営するほかありません。
もちろんビジネスの常套手段ではありますが
そうしてサイト登録し管理しようとしたらしたで
「こんな機能もありますよ!こんなこともできますよ!あんなこともできますが?」
「それは~あっごめっあっ・・・それは有料会員のみになります」
みたいなことになる。
ビジネス的には確かにWIN-WINの関係が成り立ちます。
現在 口コミ情報サイトとして多くの大衆が利用していることからも
客側と店側とをつなぐ有益な橋渡し役となっているのも確かな事実です。
しかし、掲載されるにあたって
まず店側が「やりたいのか・やりたくないのか」・「載せたいのか・載せたくないのか」
という掲載の意思すら確認されないままあたかも店側発信の情報かのごとく
世界にさらされてしまうわけです。
中には、そういうのが面倒臭くて 又は忙しくてしたくないオーナーさんもいるでしょう。
コンセプトとして知らされたくない店もあるでしょう。
特にコンセプトとして 知らせないコンセプトを掲げているお店は死活問題になります。
なぜなら、コンセプト=利益(店の存続)になります。
コンセプト通りに運ばなかった店は大抵が破綻するからです。
思う通りにことが進まなければ 当然うまくいくわけがありません。
さらには、実店舗においても
食べログに載っていた値段と違うとか掲載されていた写真のメニューがないとか
食べサイトの情報と実際の店舗の情報とが一致しないという趣旨の
クレームなども起こっているそうです。
私は飲食系口コミサイトは全く見ないのですが
旅行を計画する際 宿泊施設の口コミはガンガン見てしまいますね。
必ずホテルや旅館の口コミを見て検討します。
でも、それらの口コミを見ていると胸が痛くなります。
部屋がどうだの、食事がどうだの
お風呂がどうだの、接客がどうだのと
読むたびに酷い言われようだなと他人事とは思えません。
まるでスーパーバイザーの覆面調査以上の手厳しい辛口コメントが満載・・・。
- 建物が古い!汚い!掃除が行き届いていない!
- 料理の品数が少ない!満足のいく内容ではない!
- お風呂が汚い!部屋に虫が出た!カビ臭い!
などと よくよく書き込んでおられます。
そんな口コミを見ているとたったひとつの悪い内容を目にしただけで
自然と別の宿泊施設へとページを移動てしまいます。
「部屋に虫が出た。」
いやぁそりゃ僕らが行く時にはもういないって!
って思っても 別の旅館に目をやってしまいます。
ホテル・旅館の口コミの内容はホントきびしいと思います。
かわいそうなくらい。
まさに100打数100安打でなけらばならない。
3割7分8厘 HR38本でも来季の評価はダウン査定。
『年末恒例の戦力外通告をうけた旅館たち』になってしまう・・・。
もちろんトライアウトなどありません。
廃業か・☆○リゾートや大△△温泉グループに買収されればまだ幸いなほうです。
細々ながらも長年頑張ってきた灯火が またひとつ歴史から消えるわけです。

裁判では、口コミは営業に左右されるほどのものではないとされますが
現在 すでに改善されていたり・全く問題なく営業しているとしても
過去の書き込み内容によって明日の来店動機が左右されてしまう
ということも大いにあると私は思います。
過去口コミ「まずい!再訪なし」
確かに以前はまずかったけど、経験を積んで今は美味しいかもしれない。
過去口コミ「遅い!再訪なし」
確かに以前は開店したばかりで作業に追われていたが
今はどんとこいかもしれない。
過去口コミ「汚い!再訪なし」
確かに以前は資金がなかったが
今は貯まったお金で素敵にリフォームしたかもしれない。
あまり口コミに左右されず、まず実際に行って見ることが大事とは言いますが
行く人は適当に行きますよ。
でも、進んでネットを使って口コミをチェックする訳だから
その口コミに左右されてしまうことは当然あることだと思います。
ちなみに私は見ません・・・。自分の店の情報は。
本音を言えば怖いし。いっさい見ません。
ある信念のもと 見ないようにしています。
しかし、他店の口コミは目にします。
- 「ベーコンというよりベーコンのカスみたいのが入ってた」某店口コミより
- 「これなら家でも作れる感じです」某店口コミより
- 「一生懸命やってるとは思う」某店口コミより
- 「家で食べたほうがよい」某店口コミより
- 「夏は暑く・冬は寒い」某店口コミより
- 「虫がはいっていても良い方にはおすすめ」某店口コミより
- 「作業が雑」某店口コミより
- 「キム兄みたいな店主がやっている」某店口コミより
- 「パスタが、すぅっごい硬い」某パスタ店口コミより
中でも 私が一番嫌いな表現があります。
「再訪なし」
これはとても酷いコメントだと思いますね。
まさにこの「再訪なし」という言葉に
法では裁けないこの争いの真意があると私は思います。
もちろんもちろん再訪なんてしなくてもいいんですよ。
また来いと言っているわけではない。
なんでもう来ないのかと言っているわけでもない。
ご本人にとって二度と行かないのが一番の選択ですし当然のことと思います。
親族・友人・周りの人、伝えられる人にはどしどし伝えてやればいいですよ。
あの店はひどいんだよって。そんな店行くな!
それは 当然のことですよ。
しかしですね
その「再訪なし」という 行かない・行きたくもないというご本人の気持ちを
飲食系口コミサイトのそのお店の枠に
文字でわざわざ書き込み「行かない宣言」を高らかに掲げ
前向きな見込み客に対して「再訪なし」と負の影響を残す(削除はされませんからね)ことは、お店にとってひとつの評価という以上に何倍もの消えることのない『痛み』になっていると思います。
関係を持った「店」と「客」という意味において
双方一番良いのは、うまきゃうまいといくらでも書けばいい。
良きゃよいでいくらでも良いことを伝えればいい。
そして、悪けりゃ悪いで行かなきゃいい。
二度と関与せずそれこそ黙って再訪なしでいいわけです。
男はだまって再訪なし!
そこで悪けりゃ悪いを書いてしまうと口コミというより
膨らんだイメージを壊された「腹癒せ」になってしまう。
そのような口コミの有り様は、受けた不満のはけ口でしかないように感じます。
悪い方向での 100倍返しの表現 ではこのようなギスギスした後味になってしまいます。

余談にはなりますが
ますだおかだの増田英彦の言葉で 私たちは涙を流したものです・・・
あるラジオ番組で 昨今のTwitter ツイッターの利用について言及した場面がありました。
そして 彼はおもむろに こう切り出しました・・・

増田「ツイッターですか。
僕には 頑張っている人に 頑張ってない人
がとにかくたたく。
そんなやりとりに見えるんですけどね」
http://blog.livedoor.jp/kinenkanstaff/archives/cat_50034844.html

おそらくサイト運営側からすれば
ポジティブな・きれいごとのコメントだけじゃコンテンツとして面白くない。
表現の自由と言いながら、キツイ・汚い表現、憂さ晴らしや噂話など
一方的な強気な意見も書けてこそ、そして見ることができてこそ
ユーザーが増え ビジネスになるということでお金なる。
サイト運営側が現場に直接関与することなく
当事者同士(ここでいう「店」と「客」)を狂喜乱舞させ
おいしいところだけを搾取するという構図は
オリンピックしかり・ワールドカップしかり・政治しかり
搾取する側の金儲けの常套手段ですからね。
そのためには 店側の削除をこころよく承諾し
いいね!いいね!の小奇麗なコンテンツじゃ大衆は狂喜乱舞しませんから。
当然 お金も沸きません。
これは確かに言いすぎかもしれませんが(世界はそのような仕組みですが)
目的のためなら手段は選びません。
大衆が狂喜乱舞しようが、お店が潰れようが・・・関係ありません。
その辺がこのぶつけどころのない問題の背後に潜んでいると私は思います。
一方的にやられっぱなしというより
サイト運営側の金儲けに
『利用されっぱなし』の店舗側は腹が立つわけなのでしょう。
「食べログ等の口コミ情報サイトに対する店側サイドの怒り」の解決手段としては
口コミサイトの位置づけとは あくまでお客様立ち上げ型の情報サイトであり、利用者側の利用者のための口コミュニティーであるということをまずお店側は冷静に理解する必要があると思います。
お客様は感じたことを自由に書いてもいいんじゃないかと思います。
サイトは『利用者発ー利用者行き』なのだから。
食べログは利用者の利用者による口コミ情報サイトなのです。
そして 客側と店側とをつなぐ有益な橋渡し役となっているのも事実です。
一方で 書かれた店側としては
何を書かれても気にしない。いっさい気にしないのが一番。
確かにこの情報化社会においてネットをめぐる情報は
経営を左右する大きな影響力を持つのも事実ですが
気にしない!気になるなら見ない!そう!見ないのが一番。
ない・そう!そんなものそもそもない。
だ・か・ら・ 私はいっさい見ないのです。
食べログも途中で管理するのをやめております。
お店を経営するものは 責任ある店の当事者として
仕事に対するプライドやお店を守る責任があるのももちろんわかりますが
きっとここまでお店を経営してきた方々は
もっと多くの困難や苦難を乗り越えてきたに違いないと確信しております。
そして 今日までお店を続けてこられた信念というものは
周りの意見に左右されることなく
ご自身の決断・ご自身の意志一本で乗り越えてきたアカツキだと思います。
きっと何があっても・何を言われても、やるべき事をやってきたから
こうしてここまでお店を続けてこられたのだと思います。
それに比べれば 屈辱的な口コミなんて結果で塗りつぶせるはずです。
「やるべきことをキチッとやるだけ。結果はあとからついてくる」
それが私の答えです。
ベーコンのカスだのなんだの些細なことです。
店は店として やるべきことをやるだけです。
店がつづくも・終わるもそれが答えです。
下を見ていると、足元の些細なことまで目に入ってきてしまう。
上を見て行きましょう。些細なことなど気になりません。
私はそうしています。

ただ、僕の思うところのイイお店って
美味しいだとか・キレイだとか・接客がどうとか・コスパがどうとかそんなことで「イイお店」って訳じゃないんだけどね。
それぞれのホームグラウンドみたいなもの。
あのサッカーとかの「ホーム / アウェイ」という意味の「ホーム」
美味しいとか不味いとかはどうでもいい
むしろ!不味いのがいいんだよな・この汚さがたまんねー みたいな。
お店って そんなの趣向の世界だと思います。
これって例えるならコーヒーの好みと同じ。
(逆に言えば これらがコーヒー屋がなかなかリスペクトされない理由でもありますが・・・)
高いコーヒーが必ずしも万人の好みとはかぎらない。
貴重なコーヒーだけが絶対的な地位を確立しているわけではない。
180円のドトールのコーヒーが一番好きっていう人もいれば
グラム数千円のコーヒーがうまいという人もいる。
コーヒーは特に、高いからイイ・安いからダメ なんてなくて「自分が好きか」でチョイスされるもの。
もっと寛容に・もっと趣向に合わせて
おのおのリスペクトしてあげたいものですね。