カフェやさしいちから。のラテアートとは?
カフェやさしいちから。で1番のお目当ては?というと それは‘‘食事’’になります。
ほぼ、98%のお客さんが食事のお客さんといっても過言ではありません。そして、その食後にご注文いただくドリンクの中にこの‘‘ラテアート’’があります。
しかし、カフェやさしいちから。のラテアート。正確にはラテアートではないんです。
自称・・・‘‘お絵描きラテアート’’と言います。
私はそう自覚しております。
この「ラテアートではない」って言いきっているのは、あくまで私個人の考えです。カフェを始めた当初、10年前からそう自負しています。これは、ラテアートではないと。
これをラテアートだと‘‘やっている側’’が言ってしまうことは、恥ずべきことだと私は当然のこととして当初からそう思っています。
ただ、お客さんがラテアートと呼ぶのは仕方ないですよね。あっヨークシャーテリアだ!という人もいれば、あっ犬だ、あっワンちゃんだ、a dogだ!と言う人もいる。みたいな。
ですから、当初より私個人は
お絵描きラテアート=いたずら描きして出しちゃうぞ!
というのが当店のコンセプトだったわけです。
カフェやさしいちから。の‘‘お絵描きラテアート’’と認識してもらえるだけでも、3周回って「通」なのではないかと思います。
では、なぜラテアートではないのか?
それは、このお絵描きラテアートは、私からのほんのサプライズが原点であり、あくまで‘‘おまけ’’に過ぎませんでした。
さらにいうなれば、これはラテアートではなくて 異端の技法だからです。
お寿司でいうとこの、カリフォルニア・ロール みたいなものなんです。
本来、ラテアート・デザインカプチーノといえば、下記に引用させていただいているようなものを指しました。
上の2枚の画像は「フリーポアのラテアート」という所謂、ミルクピッチャーから注がれる流れのみでデザインを描き出す手法です。


さらに上の2枚の画像も 注いだミルクの輪郭に‘‘手早く’’ピックでイラストを施し、うさぎさんやくまさんのキャラクターを表現したものです。
この4枚の写真は、本当にトラディショナルで 技術に裏付けされていて コーヒー本来の質を損ねない質の高いデザインをほどこしたカプチーノになるわけです。
おごそかですよ。ホントに。
もちろん、私もしっかりとバリスタの勉強をしておりました。
おそらく7~8年は携わっておりました。わかる方はわかると思いますが、エスプレッソを落としてはミルクをスチームし注ぐ。落としてはスチームし注ぐ。いったい何リットルの牛乳を使用したことか・・・。
修行して2~3年は、コーヒーのコの字にも・マシンのマの字にも触らせてもらえないというストイックな世界なんです。この界隈ではそれだけ崇高なお仕事という位置づけなのです。
そのような道を歩んで来られた方なら共通して認識していることは
あくまで大切なのはコーヒー本来の品質であって、絵は‘‘おまけ’’。お客様に楽しんでもらうための粋なサービスなんだということです。
質の高いカフェラテ・カプチーノが作れてはじめて、絵が描ける。いや、むしろ絵が自由自在に浮き出てくるといったほうがいいでしょう。
本来は、絵を書くことが主役ではないんです。絵を描くことはバリスタの数ある引き出しのたったひとつにすぎません。
しっかりとした技術により抽出されたコーヒーに、ちょっとしたサプライズとして絵や文字をコーヒーの質を損ねないすばやい手法でサービスしてご提供するというのが当たり前の流儀でした。
この技術を習得しようと多くのバリスタ(コーヒーをサービスする)志願者が腕を磨き、幾度となく失敗を重ねながら日々精進していたように記憶してます。
カフェやさしいちから。が犯した功罪・・・。


例えるならば
日本人なら、老舗の有名寿司屋で出てきた寿司に、マヨネーズをかけて食べるようなまねはしない。たとえ、かけたほうが美味しかったとしても。そんなことは絶対にしない。
10年以上も昔、まだトラディショナルなラテアート・デザインカプチーノしかなかった時代におこなった、まさに愚行なわけです。
その後は、皆さんもご存じのように
- もう・・ものすごく書き込んだもの
- まるで油絵と見間違うほどカラフルなもの
- 行列ができるほど超上手なもの
- 3Dラテアート
もう歯止めはききません。3Dラテアートなんて、ホント・・・さすがにやり過ぎ。
『進んで踏み絵するようなものです』
愚行だからこそ、ラテアートではないのです。
地獄の門を開いてしまった・・・。
例えるなら
銀座の伝統ある老舗の寿司の名店を差し置いて、私がやった所業はまさに!!
♪キャリフォルニア・ロ~~ル♪
♪マヨネーズかけてま~す(^^♪
銀座の名店を差し置いて、『これが寿司だ』と『これがラテアートだ』と言ってしまったようなものだったわけです。
このような愚行を誇ることは、すなわち恥。
と、当時。10年前に考えていたわけです。
カラフルに色がついたり・絵がふざけていたり・なんなんだと!
終いには、お客さんまで・・・・こんな・・・ことに・・・。
自覚していたからこそ、当初から自店のものに関しては『ラテアート』とか『デザインカプチーノ』とは呼ばなかったんです。
あえて別物扱いという意味で『お絵描きラテアート』と名付けていた理由なのです。
いや、作れますから!!
オーナー
そんな異教徒の私ですが、心配はご無用。
‘‘へたうま’’という言葉をご存じでしょうか?
90年代のロックシーンはまさに‘‘へたうま’’の全盛期だったのです。
【グランジ・ロックの代表格 NIRVANA】
【UK ポップの代表格 OASIS】
あれから30年たった現在。当時のムーブメント・そして彼らの奏でた音楽を皆さんはどう感じるでしょうか?
80年代に膨れ上がった完成された音楽ショービジネス。
プロフェッショナルに完成された楽曲・MTVを中心としたPVによる視覚効果・様々な工夫をこらした大規模な演出で魅了するライブ・ボディーガードに守られたり、自家用ジェットで移動するなど何様状態のアーティストたち。
マドンナやマイケル。ボンジョビやガンズ。スゲーまねできねーよ!
一般市民には決して手の届かない世界に膨れ上がってしまった80年代の商業的音楽シーンを、誰しもが手にし表現できるアートとして取り戻そう!!
音楽をビジネスの世界から、アート・表現の世界へ引き戻す。
そんなムーブメントの中に私もいました。
すごいから僕には無理ではなくて、音楽にすごいもなにもないんだよ!
メロディアスな楽曲が作れない人・歌がうまく歌えない人・ギターでポールギルバートやイングウェイマルムスティーンのように超絶テクニックや超速速弾きギターソロができないなど、プロフェッショナルの壁に阻まれ夢をあきらめかけていた多くの若者が、このムーブメントに感化されたわけです。
当時は「これなら俺たちにもできるぜ!」と世界でいったいどれくらいの若者たちがギターを手に取りバンドをくんだでことでしょうか。
私もそのひとりです・・・。
どこのライブハウスに行っても、みんなNIRVANAとOASISだらけだったわけです。
しかし、ムーブメントを先導する彼らと、それに感化された多くの若者たち。同じようで同じではない大きな違いがありました。
それは
‘‘simple(シンプル)とsimplify(シンプリファイ)の違い’’です。
simpleというのは 単に簡単。単純でシンプルである。のに対して
simplifyは 簡素化。複雑なものをあえて簡単にしてみせること。
つまり、当時のグランジロックもUKロックもただ単に粗雑な音楽表現をしていたのではなく、音楽理論や技術をしっかりと身につけた彼らが、簡素化したロックを奏でていたからこそカッコ良かったわけなのです。
知識や技術のない人間が行う簡単な行為と、知識や技術を身に着けた人間が行う簡素化された行為とでは、そのバックボーンからして 似て非なるものなのです。
私の『お絵描きラテアート』も単に取って付けたような単純な思い付きの代物ではない。今もなお、長年にわたってバリスタの姿を日々模索し続けてきた上での『お絵描きラテアート』なのだと。
オーナー
このような葛藤の経緯を経て、胸を張ってお客さんにご提供することができるようになったのです。
↑↑店では、絵ばっか書いていますがちゃんとしたのもできるんですよ↑↑。
しかも、絵無しのほうがカフェラテならカフェラテように、カプチーノならカプチーノようにしっかり仕上げますので、美味しいと思います!
- やさちか。は『お絵描きラテアート』である。
- 絵はおまけ。常に美味しいコーヒーを作るのが勤め。
- 愚行だから誇るべきではない。
- シンプルではできないシンプリファイなこと。
- お客さんはラテアートの認識でも全くかまわない。
- 面倒臭くて自らラテアートと言ってしまう癖がある・・・。